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歴女必見!②片倉家御廟所

傑山寺を訪れて、すっかり歴女モードのわかです。(笑)
さて、片倉家を語る上で欠かせないところがもうひとつ!あるんです。
…知りたい?んじゃ教えっから集まれーい!!

それはね
片倉家御廟所です!!

*片倉家御廟所とは*
片倉家初代景綱から10代宗景までのお墓があるお墓がある場所です。元々は初代景綱、2代重長のお墓は傑山寺にありましたが、3代景長は片倉家代々のお墓を白石城の見える福岡蔵本の愛宕山に決めて、傑山寺から初代景綱と2代重長のお墓を景綱の命日にあたる1680年10月14日に移しました。

早速行ってみましょう(^O^)今日はきむにいねえさんと行ってきました!!
記念碑
駐車場にはこんな記念碑見っけ!大河ドラマの時に出来たみたいですね。
き:「なんか、懐かしいですねえ…ねえさんもそう思うでしょ?」
ね:「まーだそうやって同世代みたいな言い方!」
そうなんです。きむにいねえさんは10歳違うのに、同世代にさせたいのです。(笑)
階段
あらーまた階段!
き:「歴史ある所に階段あり!ってやつですかね。」
入口
階段を登って道なりに進むと…
ね:「あ!見えたよ!!」
き:「おお…!私、初めてだからわくわくします。」
わ:「私は実は白女の時歩いてきたことがあるので、2回目です。」
き:「歩いて?!いやーそれはなかなかきついな…でも高校生ぐらいなら行けそうだな…いや、でも…」
ね:「きむにい、ボソボソつぶやいてねーで早く行くよー!」

歴代の名前
歴代の名前がズラーリとあっごだ(・ω・)
ね:「すごいね!!」
わ:「どうやら、3代景長は超がつくほどのイケメンだったみたいですよ!」
き:「んじゃあ、私と同じくらいですかね!ははは!」
ね・わ:「…。」
家臣6人のお墓
ね:「これ何だべ?」
正面のすぐ脇に、初代景綱に仕え殉死した家臣6人のお墓や、明治4年に片倉家が北海道開拓の時に建てた片倉小十郎惣家中先祖代々の供養碑があります。ちなみにこの写真は家臣6人のお墓です。
さてお待たせしました。いよいよ片倉家のお墓登場ですよ!!
片倉家代々のお墓
でんっ!!!これが片倉家代々のお墓です!!
ね:「なんかすごいパワーを感じるね。」
わ:「んですねえ!」
き:「私も強くなれる予感…よし、今度は私も歩いてこようかな。いっそ、小原の遊歩道まで歩いて行って、足湯に全身浸かってこようかな。」
ね:「足湯に全身は無理じゃね?」
き:「いや、足湯は寝そべれば入れますから!!」

1日1回はこういう笑えるつぶやきをしているきむにい。いいキャラしてます(笑)

傑山寺と同じで駐車場はそんなに多くなく、きゃっするくん(白石市民バス)のバス停も丁度いい停留所がないので、やはり環境に優しく運動にもなる自転車がおすすめです!白石駅から15分、白石蔵王駅から25分弱で着きます。ここにも実際自転車で行きました。市民の方、観光でお越しの方も是非レンタサイクルで!!(*^_^*)
また違った角度から、白石を見れると思いますよ☆

ところで、今回は行けませんでしたがこの片倉家御廟所からちょっと行ったところに、片倉喜多と田村清顕のお墓もあります。

*片倉喜多とは?*
初代景綱の異母姉で、政宗の乳母です。乳母と言っても喜多は独身だった為、実際は教育係だったらしいです。その後、政宗の正室愛姫の付き人にもなりました。京都の伊達屋敷で、愛姫を「狐払いの祈祷」の口実に要求された時に、愛姫を救う為には遠く離れた岩出山にいる政宗の指示を仰いでいては間に合わないと、独断で藤姫(政宗の側室)を代わりに差し出しました。
政宗はこの事を後から知り、激怒して喜多を殺そうとしますが、愛姫の懇願により命はとりとめ蟄居(家に閉じこもって外に出ない事)となります。その後白石に移り、独身のまま生涯を閉じます。白石に移ってからの喜多の事はあまり語られていなく、謎が多いようです。でも、愛姫の従兄弟の田村宗顕が白石に移るとその縁のより宗顕の息子、田村定広が片倉定広と名乗りました。これは愛姫の願いだったそうです。

*田村清顕とは?*
三春城主、田村家当主で愛姫の父です。田村家存続の為、そして伊達家の庇護を得る為に一人娘の愛姫を政宗に嫁がせました。しかし子供は愛姫しかいなかったので、亡くなった後に後釜をめぐった争いが起きてしまったようです。

なんだか長々と語ってしまってすいませんえん(笑)
これを読んだあなたはもう立派な歴女・歴男だぜ!!!

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